コミュニケーションを続けていこう
こんにちは。心理カウンセラーの掛川です
私には2つ下の弟がいます。弟は重度の脳性麻痺があり、医療的にも生活全般に人の手助けが必要で、幼い時から大きな施設のベッドの上で暮らしていました。一緒に遊ぶことも、会話をすることもできません。
週末になると両親が兄と私を連れて、県外にある50kmほど離れた施設へ弟に会いに行くのが日常のお出かけでした。そこではたくさんの人が暮らしていて、フロアに入ると独特な匂いと共に「あー」「うー」といった唸り声や、レクリエーションの音楽、医療機器の機械音、配膳代が運ばれる音が聞こえ、他の面会者やスタッフの方が行き交い、普段では味わうことのない空間です。
私は子供ながら「特別な場所」をひしひしと感じながら、弟のベッドに辿り着きます。名前を呼んで話しかけ、顔を拭いたり爪を切ったりする両親の横で、その様子を眺めます。一通り身支度を済ませると、調子がいい時は園庭に出てお散歩。
車椅子を押すのがなんだか楽しみで、自分も弟のお世話に加われているのが嬉しい時間。でも表情が変わることもなく、いつもと同じ目線が合うことのない弟に向かって「今日は天気がいいね。楽しいね」といつも一方的に繰り返す同じ声がけ。
束の間のお散歩を終えると、また「あの空間」へ戻るのが、どこか心苦しくなる瞬間。「また会いにくるね」と声をかけてベッドを後にする。これが弟と過ごした面会の記憶です。
望むような意思疎通は出来なかったかもしれない。一緒に暮らしてどこか一緒に旅行をしたり、食事をしたりは出来なかったけれど、家族の兄弟の絆は胸に刻まれていたのだと大人になった今は思うのです。
そして、家族よりはるかに長い時間生活を共にしたであろう施設のスタッフの皆様は忙しいご勤務の中、いつでも明るく時に静かに弟を見守り「昨日は楽しそうにレクの音楽に参加してたよね!」「リハビリは嫌みたいで疲れちゃったよね〜」「来週はクリスマスイベントの司会、一緒に頑張ろうね」など、寄り添い話しかけてくれていました。
私は普段の生活の中で妻や友達、会社の同僚とのやり取りの中で、ちょっとした会話のすれ違いや価値観の相違で関係性がギクシャクしているなと感じる場面があります。すると、会話が雑になり、一緒に過ごすことにも疲労感が生じてきたりもします。
そんな時は弟に寄り添ってくれていたスタッフの皆様の「コミュニケーションを諦めない」姿を思い出すようにしています。そして、「兄ちゃん、なんでもいいから何か話しかけてくれよ」と心に問いかけてくる弟の事を想うのです。
自分が期待するような返答はないかもしれません。知らんぷりされてしまうこともあるかもしれません。それでも、大切な人とのコミュニケーションを止めることなく気持ちを伝え続けていくこと。その行為を重ねていく中に愛情や友情、友好なビジネス関係が少しずつ育まれていくのかもしれませんね。
関係の修復が難しい場合には、お相手と少し距離を置いてコミュニケーションを一時停止したり、完全停止をする場面もあるかもしれません。さまざまな対応があると思いますが、「意思疎通を図ることを諦めない」という姿勢があるということも判断の選択肢の一つとして提案させていただきました。
弟から学んだ事を時々ブログに綴っていこうと思います。最後までお読みいただきありがとうございます。
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