悩みはどこからくるのか。

こんにちは。心理カウンセラーの掛川恵二です。

「人の心はどこにあるのか?」

今の私なりの結論は、「自分の外側、お腹と胸の前あたりに居る感じ」です。さっそく???だと思いますが、どうぞ最後までお付き合いください。

日頃から「心」を取り扱う機会が多い私はとても興味がある問いです。そしてこの問いに、多くの人たちが挑んで言語化し体系化してきました。

「心臓にある」「脳の中にある」「他者や環境との間にある」など、古くは古代文明の頃から、現代に至るまで心理学、哲学、医学、文学など様々なアプローチで説明され続けています。

どうにかして「人の心」という得体の知れないモノを解き明かし、「悩み」を解消する方法を手に入れて「穏やかな心」であり続けたいと願う人々の執念を感じてなりません。非常に興味深く惹きつけられるこのテーマについてご一緒に考えてみたいと思います。

そもそも心をどのように定義するか。
気持ちや思い?価値観や信念のことか?喜怒哀楽などの情動のこと?感情のことかな?そうした精神活動の総体のことだとすると、、、

その心が何らか刺激されて、動いたり、傷ついたり、重くなったり、軽くなったり、次々と変化していく様を無意識に、時に意識的に感じ取ることが人は出来るようです。そして感じ取った先に生まれてくるのが「悩み」と捉えるように私はしています。

 

私たちを苦しめ続ける「悩み」は「心」に影響される。
逆に言えば、心が無い生き物は悩みもない、と考えることもできます。とすると人間にはどうやら心があるようです。

では、最初の問いに戻りますね。
「心はどこにあるのか???」

 

心はどこにもない。

 

「心は実在せずに私たちが作り出す空想のモノ」なのかも知れない。人間の想像力で作り出された虚構の小説や物語のようなもの。という1つの捉え方はいかがでしょうか。

心は自分の傍で常に執筆している小説家。様々なストーリーを展開させて「悩み」というキャラクターを描いて私たちに読み聞かせてくる存在。そのストーリーとキャラクターが実によくできているので、自分自身の中で展開されていると感じてしまう。

 

このように心と悩みの存在と関係を理解すると、自分の内面で起こっていると感じていた心の痛みや悩みの辛さは、実は小説の物語のように外側で起こっている作られた出来事と捉えることができます。すると、今まで抱えていた心の問題を自分自身と切り離して、少し冷静に客観的見やすくなります。

よくできた筋書きで、実にリアルな辛さを描いているなぁ、とまるで映画の論評のように心と悩みを第三者目線で見ることができれば、暗くて重く感じていた問題に包まれた世界から少し抜け出して楽になる感覚になるのを実感できるのではないでしょうか。

 

例えば、職場や学校の中で人間関係の輪に入れず悩んで苦しんでいるとしましょう。
「輪に加わることが善で、1人でいることが悪」という価値観、「輪の中に入れば楽しい時間が過ごせるのではないか」という希望、「輪の外にいるから嫌がらせや陰口を言われているのではないか」という憶測、などを抱えた主人公が思い悩み、食欲や睡眠が不振になり休みがちになっていく。という物語を毎日読んでいたら、あたかも自分中で起こっていると錯覚して悩んでしまっているという感覚です。

そもそも人間関係の輪って見えないし、本当に楽しい場所なのか?他にもっと楽しいと思える輪があるかも知れない、陰口を言われるような輪からは離れた方がいい。といった筋書きの物語なら輪に入れないことは悩みでは無くなりますよね。

つまり、悩みはそもそも存在していなくて、作り込まれた虚構の悩みのストーリーを自身の体験として取り入れていってしまうがゆえに辛くなるのかも知れません。

フィクションの小説作品を読んでいる、という感覚で心や悩みを捉えて見つめてみると、今までと違った軽い感覚になってくると思いますので、ぜひお試しになってください。

今回は、やや難解でオカルト的な内容ではありましたが、最後までお読みいただきありがとうございます。

 

 

投稿者プロフィール

掛川 恵二
掛川 恵二くれたけ心理相談室(大和支部)心理カウンセラー
カウンセリングを重ねることで、あなたの杖として歩みを支え、提灯になり足元の段差を照らし、旅を進めるための安心道具のひとつになれたら嬉しいです。

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